パラレル高知は高知の役に立つのか?
▼事務局
では『パラレル高知』の世界を見ながら、引き続き「役に立つ」について考えてみましょう。
なんと言うか、「ここに帰ってきた」というような気がします。(笑)
まずデハラさんに質問したいのですが、改めてこの空間を見て、「役に立つ」ということに関連して感じることはありますか?
▼デハラさん
うーん。
改めてこれを見ると…「役に立っている」ということはないですね。(笑)
もちろん、「ビジュアル的に面白い」というのはありますけどね。
元々これを作ったときのやり方として「高知の正確な情報がわかるようなものにしよう」ということではなかったわけなので、そうなるとあとは見た目の面白さだけですよね。
▼事務局
そうでしたね。
いまのところ、普通の意味ではこれは「役に立っている」という感じはあまりないですよね。

▼事務局
では少し視点を変えて、先ほどの谷口さんの発表を聞いた上で、広い意味でこの空間の「役に立つ」ところを考えてみることはできないでしょうか?
▼デハラさん
この空間をはじめてみる人にとってはやっぱり「ヘンテコな世界だな」というようなことでしかないと思うんです。
一方で、並んでいる街並みは高知の街並みからとってきた素材で、歩いているキャラクターは僕のフィギュアが元になっているわけですよね。そうすると、出てくるものは全部高知のものですよね。
「全部が高知のものですよ」ということを言われた上で見る場合は見方も変わるだろうし、なんらか「ヒント」みたいなものを見つけられるような気はするかもしれないですね。
▼谷口さん
うんうん。
▼事務局
アートの中にはっきりと「これ」と特定できる有用性ではないんだけれどもなんらかの「ヒント」があるというのは、谷口さんの発表の中にも通じるものがあるかもしれないですね。

▼事務局
谷口さん。先ほどの発表のことで、一つ質問させてください。
発表の中で、「失敗」という言い方が出てきました。
一方で、「成功/失敗」というようなことについての一般的な慣用表現として「失敗は成功の母」というのがあると思うのですが、実は谷口さん自身は一度もその言い方はしませんでした。
それは、何か意図があったんですか?
▼谷口さん
そうですね。
僕は、「何が失敗なのか?何が成功なのか?」ということ自体も問われる必要があると考えています。
発表の中だと学生のことを例に挙げましたが、「そもそもそれは本当に失敗なのかどうか?」も、常に検証されるべきだと思っています。
何かをやってみてそれが事前に期待していた結果と違ったとしても、実はそれは今まで気づいていなかった新しい可能性への入口かもしれないわけで、それは果たして「失敗」なのかどうか。
「何か」をやったら「何か」が起こるわけで、重要なのはその積み重ねだと思うので、「失敗は成功の母」という言い方が前提としているような「失敗」や「成功」それ自体も変わっていって良いのではないかと思っています。
▼事務局
「失敗は成功の母」という言い方の中には、失敗は失敗、成功は成功だという評価は自明のものだという前提があるかもしれないですね。
谷口さんは、そこ自体も考えたいと。
▼谷口さん
学生の話に関連してもう少し言うと、美術大学の学生が作品を作る中でその学生が今まで気づいていなかったものに気づき始める時って、「なんだかわからないものができてくる」ということが起こるんです。
人間って「なんだかわからないもの」に耐えるのが難しいというようなところがあって、なんだかわからないものができてくるとそれをすぐに、すでに知っている表現や方法の落とし込んでしまうというようなことをしがちです。
すぐにそういうことをせずに、なんだかわからないものを前にしたときにそれがなんだかわからないまま、さらに深く考えてみることが大事だったりします。
「なんだかわからないことに耐える」ということですね。

▼デハラさん
自分の作品をギャラリーとかで展示するときのことで思い出したことがあります。
作品展示をやっていると、お客さんに「これはどういう作品ですか」なんて聞かれることがあります。
そうすると、実は自分でもどうしてそういう作品になったか説明のつかないような作品でも「これこれこういう作品です」とか説明をするんです。
そうするとお客さんの方は嬉しそうだし、僕の方もなんだかそのお客さんと通じ合ったような気がして嬉しくなることがあります。
そういうときはその作品について「わかったような気になっちゃう」、お客さんと「通じ合ったような気になっちゃう」というところは危険なことのような気もするし、でもそのときの嬉しいような気持ちは確かにあるし、お客さんと話したことで自分でも新しく気がついたことがあったりもして、そういうときの感覚は谷口さんの言っていることと関係がある気がします。
▼谷口さん
「人と話す」というのは、重要ですよね。
それが、アートなり作品なりの持っている役割のような気もします。
ある作品をみて鑑賞者の人が「よくわからないな」と思って、実は作家の人自身もよくわかっていなくて、でも話してみたらお互いに何かがわかってきたりもするし、わからなかったとしても新しい気づきがあったりもして。
▼事務局
それをみた人や作った人を「話をしたい気持ちにさせる」というのも、アートや表現の機能や有用性の一つかもしれませんね。

▼事務局
一つ、俗っぽい質問をさせてください。
この『パラレル高知』を見た誰かが「これを高知の観光振興に役立てられますか?」ということを聞いてきたら答えられることはありますか?
▼谷口さん
この空間を作るにあたって多用した「3Dスキャン」という技術とそれを使った表現については、一つ思うことがあります。
実在の物体をスキャンして、3DCGの形のデータを作る技術のことですね。
一般的な「写真」との違いとして説明するとわかりやすいのですが、「写真」って、カメラを構えるある人がある対象物を撮ろうとして画角やフレームを決めますよね。そうすると、メインの被写体となる対象物が画面の中で一番重要で、それ以外のものは隅の方に追いやられるというような上下関係みたいなものが生まれます。
一方で3Dスキャンは、ある対象物を撮ろうとしたらその対象物を色々な角度からスキャンする必要があります。正面だけでなくて裏側にも回り込んで撮らないとひとかたまりの3Dデータにできないですから。
表現上は重要じゃないところも撮らなきゃならないというか。
写真は「ここに注目してそこだけを切り取る」というようなところがありますけど、3Dスキャンは「そこを撮るために、そこを含む周りを広く撮る」必要があります。
広く撮った結果として入り込んでくるメイン被写体以外の部分は「ノイズ」だと見なすこともできるのですが、でもとにかくそこに撮れてはいるわけです。
そうするとたまたま撮れているそのノイズ部分から、新たなヒントとか価値が見えてくることはあるんじゃないかなと思います。
▼事務局
なるほど。
写るものの範囲が写真と3Dスキャンで違うのは、確かですね。
▼谷口さん
「撮る機材/技術」と「撮られるもの」に関係があるというのは別に新しいことではなくて、例えば山岳写真では広い山の景色を撮るためには大判とか中判のカメラの方がいいとかいうことはこれまでも言われてきたことです。
最近3Dスキャンも安価になって普及してきて、その日食べたお昼ご飯を3DスキャンしてSNSにアップしている人なんてのも既に実在しているのですけど、撮る技術としての3Dスキャンが、撮られるものへの影響を与えることはあるかもしれません。
▼事務局
『パラレル高知』を作るにあたって使用した3DスキャナはiPhoneのアプリなのですが、これはiPhoneがあれば使えるわけなので、Instagramみたいな感じで使うこともできますもんね。

▼デハラさん
出来上がった『パラレル高知』を見ている時に気がついたんですけど、けっこう街の中にいる人たちが写り込んでいるんですよね。
これって、僕は自分が高知の街中を歩いてスキャンしているときは気づいていなかったんです。
▼事務局
この辺りですね。
きちんとカメラを向けたわけじゃないのでぼやけてはいますが、でも、写っていて、この空間に登場していますね。
▼デハラさん
スキャンをした僕自身も気づいていないんですけど、この人たちは高知にいて、この表現の中の一部になっている気がします。
▼谷口さん
そうですよね。


▼デハラさん
「役に立つ」とか「成功」「失敗」って、僕は谷口さんの話を聞いて視野が広がった気がするんですけど、でも普通の世の中ではやっぱりお金で判断されると思うんですよね。
「経済の役に立っているのか?」とか「これを利用して、一年間に何人の人を高知に呼べるか?」とか。
▼事務局
そう思います。
▼デハラさん
県の観光振興をやっている人とか観光協会の人とかに谷口さんが話してくれたような「もっと広い意味で役に立つことを考えよう」とかいう考えって普通は無いと思うので、やっぱりそうなるとは思うんです。
でも僕からすると、この空間のビジュアル的な面白さとかには確信があるんですよね。
これで「一年間にいくら経済効果があります」とかはともかくとして、とにかく素材は全部高知のものであるわけで、それでこういう体験型の面白い何かを作れるんですよということを見せることはできると思います。
「ロマンあるでしょ」という感じで。(笑)
▼事務局
そうか。
観光協会の人とかにこれを見せて、「高知にはもっと気づいていない可能性があるのかも」と思ってもらうことはできるかもしれないですね。

▼事務局
谷口さんは高知には来られたことがないそうですが、前回(第一弾コンテンツ)の中で『パラレル高知』の中を歩き回りながら「こういう形で高知を歩くことができた」という言い方をされていて、印象に残っています。
そのことを思い出すと、例えばですが、今後谷口さんが高知出身の人に出会ったりして「谷口さん、高知を観光したことありますか?」なんてことを聞かれた場合にどう答えるべきかは、難しいところがありますね。
▼谷口さん
(笑)
そうですね。
僕も、このプロジェクトに参加した今となっては「僕は高知については何も知らないです」とは言いにくいです。
張り紙だらけのお店があったり、パンダの被り物の方がいたりすることは体験してしまっているので。
コロナ禍の中で、いくつかの旅行会社が「バーチャル旅行」みたいなことをやった事例があるんです。
zoomなどを使って遠隔地を繋いで、現地にいる現地スタッフみたいな人が案内するというスタイルが多かったようです。
それらも、少なくともある程度は本当に「観光」として機能した部分はあるようです。
「観光振興」ということを考えたときに、いったい何がどこまで「観光」なのか、その枠組み自体を考えることはできると思います。
この『パラレル高知』をやりながらそれを考えることができるとしたら、それは「役に立つ」ことかもしれませんね。
この中を歩いていると明らかに高知の商店街の雰囲気とかは伝わってくるわけで、それは本物の高知そのものではないにせよ、高知に由来するものであるのは間違いないわけですから。
▼谷口さん
僕は自分のアバターを作品に組み込むことが多いのですが、そうすると僕自身に会ったことはなくても僕の姿を知っているという人がいて、そういう人に実際に会うと「初めて会った気がしない」というようなことをよく言われます。
そう考えると観光に限らず、僕たちは物理的な現実だけの中に生きているわけではなくて、メディアを通して受け取っているイメージもまた何らかのリアリティを持った「現実」であるわけです。
ビデオゲームなんかがわかりやすいですが、ビデオゲーム自体は物理的な実体を持った現実ではないわけですが、でも、たくさんの人がその中である体験をしていて、その体験は同じゲームをプレイした人たちの間では共有されています。そのことは、そのゲームをプレイした人たちにとっては意味のある「現実」でもあるんですよね。
▼事務局
そうか。
そう考えると『パラレル高知』を体験することは「高知を知っている」とも「知らない」とも言えないその中間の体験で、そういう中間的な体験を実際にできるということはそれ自体が「有用性」の一つなのかもしれないですね。


ニューヤクニタてるかもしれない
▼事務局
お二人ともありがとうございます。
最後に今日の話全体について、気づいたことなどがあったら教えてください。
▼デハラさん
一つ思い出したことがあって。
東京から友達が何人か来て、高知を案内した時のことです。
▼事務局
はい。
▼デハラさん
で、高知の食べ物も食べてほしいので、食事にも連れて行くこともあるわけです。
▼事務局
はい。
それはその方達にとっては、観光ですね。
▼デハラさん
それでそういうときに、これは僕だけじゃなくて高知の人たちはよくそういうことをしちゃうみたいなんですけど…、僕が、その人たちに奢っちゃうんですよね。
高知県は県としては収入も大きい方じゃなくて、観光は大事なことで、観光で来てくれた人たちに高知でお金を使ってもらうことが大事だとかは僕も高知の人たちも分かってはいるんです。
でも、奢っちゃう。
▼事務局
え!
なるほど!!
▼デハラさん
そんな感じで色々なところへ行くと、まあ、楽しいわけです。
僕も楽しいし、連れて行った人たちも楽しい。
そうすると、その人たちはまた次も高知に来てくれたりしますよね。
別に奢ってもらえるから来るとかじゃないと思うんですけど、やっぱり、楽しいから。
▼事務局
はい。
なるほど。
重要な話ですね。
▼デハラさん
そうなってくると「観光客にお金を使ってもらいたいから観光が大事だ」みたいな話も、なんだか分からなくなってきちゃうような気がしてきました。
▼事務局
そうか。
デハラさん達はそこで出会ったりお話ししたりしていて楽しかったりすることは確かなわけですもんね。
▼谷口さん
やっぱり「観光」自体の意味も問われていますね。(笑)
もしかしたら県民性とかによっても違うところもあるのかもしれないですね。
面白いです。

▼事務局
谷口さんは、いかがですか?
▼谷口さん
色々言ったのですが、普通の意味で「観光」を振興したり支援したりすること自体も大事なことだとも思っているんです。
僕が今日したような話をするとよく「アーティストは人の役に立ったりすることが嫌だということらしい」というようなことだと思われてしまうことがあるのですが、そういうことでもないなと思っています。
アーティストだって人と関わって経済活動をしてご飯を食べて生活をしているわけですし、コンセプチュアルなことや机上の空論だけを扱うというのも、違うんじゃないかなと思います。
アーティストがアーティストなりのやり方で社会を良くしたり「役に立つ」方法は、考えたいです。
▼谷口さん
今回、文化庁メディア芸術祭高知展「ニューツナガル」ということでやっていると思うんですけど、「ニューヤクニタツ」ということも、あるような気がしてきています。
▼事務局
そうか!
「役に立つ」という概念そのものについてみんなで考え直したりもするわけで、今まで考えたこともない「役に立ちかた」は、あるのかもしれないですね!!
▼デハラさん
なるほどー。
▼谷口さん
そうですね。

▼事務局
一緒に『パラレル高知』を作るところからはじまって、色々なお話をすることができてとても楽しかったです。
お二人にとっても、それからこの記事を読んでくださる方にとっても「役に立つ」時間であったらいいなと思いつつ、今回のトークを終わりにしようと思います。
お二人とも、ありがとうございました。
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今回のトークでも登場した、高知を元にしたVR空間『パラレル高知』は、高知市文化プラザかるぽーとで開催中の「文化庁メディア芸術祭高知展 ニューツナガル」で実際に体験することができます。
高知近圏の方は、ぜひ会場にも足をお運びください。
《会期》
2022年1月13日(木)〜1月25日(火)
※月曜休館