地域とわたし
▼明貫さん
最後に「地域とわたし」という話をします。
「地方」を消して「地域」と書きました。
「地方ではないぞ!」という想いがあります。
さっきも言いましたが、地域プロジェクトにしてもメディアアートにしても、私自身は「資料」という点から関わっていっていると思っています。
「資料を集める」とか「資料を整理する」とか「資料についてリサーチする」とかそういうことですね。
これを「地域とわたし」という視点から言うと、私は「資料」を通して「地域とわたしの結びつき」を作っていっているという見方もできるなと思っています。

「地方」にわざわざ横線を引っ張って打ち消している話をもう少ししたいのですが、「地方」という言葉は「中央」という言葉の対義語として存在しているなと感じます。
中央というのは、日本でいうと「東京」のことですね。
「地方」と「中央(=東京)」の間には、ヒエラルキーがあるなと思います。
「中央の真似」として「地方」があったり、「中央でやっている面白いことを地方に持ってくる」というような言い方をされることもあるなというようなことです。
中央が上で、地方が下というようなヒエラルキーとして理解されています。
私はそれは問題だなと感じているのですが、その前提にはやはりドイツの状況を見てきたことがあります。
ドイツの社会にはきちんと地域ごとに政治と文化ともに「自治」があると感じました。
例えばアートフェスティバルにしても、地域の人たちが自分達で作った、地域ごとの特色あるそれぞれのフェスティバルがあるというようなかたちでそれを目にしました。
日本の地方のフェスティバルを見るとそれとは異なっているなと感じます。どこの地方のフェスティバルを見てもほぼ同じアーティストが出展していたりとか。
文化庁メディア芸術祭も、文化庁メディア芸術祭「地方展」という言い方をしていますよね。
ここにも同じように中央と地方をヒエラルキーで理解しようとするようなチカラが働いているように感じます。
これってやっぱり、中央で評価されたアーティストや作品を「地方へ持ってくる」ようなやり方なわけですよね?
▼事務局
東京で開催されたコンテストの受賞作品を「中心とした」展覧会やイベントを開催することになっているので、基本的には、そうです。
▼明貫さん
そこで、「地方」という言い方を「地域」に言い換えると、そのヒエラルキーが消えていくように感じています。
加賀も高知もそれぞれ一つの「地域」で、それと同じように東京も一つの「地域」として理解できるというような感じですね。
それぞれの地域同士はフラットな関係で、そこに上下関係は無いというか。
そういうフラットな関係を考える上で「資料」が有効なのではないかと考えています。
過去にこの地域でどんなことがあったか、どんな人がいたか、それを前提にして今の地域はどうなっているのか、未来はどうなっていくのか。
そういったことの土台として私は「資料」を扱っている気がします。

フラットな関係というのは別に土地同士のことだけではなくて、ジャンルとか分野の間でもフラットにするのが良いと思っています。
例えば、私がメディアアートの分野で扱うような「資料」は普通の意味では「地域」では必要とされないわけですが、一方でその「資料」を深く読み解いていくと、思いがけず、ある地域や思わぬ分野で重要な意味というか、地政学的な側面が浮かび上がることもあります。
▼事務局
文化庁メディア芸術祭について補足すると、例えば今回の高知展の場合だとこの対談などがそうですが、それぞれの地方展ごとにその地域の特色とうまく結びつけようとする個別の工夫はされているはずです。
▼明貫さん
そうですよね!
そう思います。
別に、文化庁を批判したいわけではないんです。(笑)
文化や政治も含めた広い社会が、フラットな関係で理解されるようになって欲しいなという話です。
いまは中央集権的な状況の中で、「地方」が自信を失ってしまいやすいような社会になってしまっていると思うんです。
私の場合は、「資料」に取り組みことでそこに立ち向かっているような感じですね。
▼タケムラさん
明貫さんのプロジェクトは、大学とか補助金とか、「公共」の部分とうまく協力しているようなところがありますよね。
それって、コツみたいなものがあるんですか?
▼明貫さん
私たちのやっていることって使命的に地味に取り組まれてきてはいても、それをおもしろおかしくできていなかっただけで、実は潜在的なニーズや関心は元々あったように感じています。
それを草の根的に実行して価値が見えるようにしていったことで「じゃあ私もやってみようかな」と思ってくれる人が増えていって、公共との協力というのもその延長でできるようになっていったということかもしれません。

▼タケムラさん
高知でも地域資料の散逸が激しいと感じることがあって、例えば古い家を取り壊すときに、そこにあった古い本や資料をまとめてヤフオクで売ってしまうというようなことが起こっています。
それらはまたどこかの古本屋で売りに出たりするのですが、博物館とかどこかにまとまってアーカイブされていくということは起こらなくて、ただいつまでもバラバラと散逸していくというような。
そういう中で、明貫さん達のお仕事は意味を持つように思います。
▼明貫さん
確かに。
そういう面も、あると思います。
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